中野整形外科クリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:7

ニュージーランドの日本への国民感情は、今はどうなのかは知りませんが、戦争体験をもった年代の方にとっては、建国以来、外国から攻められるという経験をしたのは唯一、日本軍からだけだったという理由で、日本には良い想いをもたれていないという話を聞いたことがあります。

前回、前々回のマッケンジー先生の話からは、それを思い出しました。 気をとりなおします、さあ師匠、どうぞ。

 

私は大きゅうなるにつれ、母のお荷物になってるんやないかと感じるようになってました。

私も母の政治的な活動に我慢ならんようになってました。 1945年、ついに戦争が終わると、母はまたもや私を良い学校にいれたがり、またもっと自分の自由な時間が欲しかった、ちゅうのもあるのかもしれませんが、私を寄宿舎のワイララパカレッジへ入れようとしました。 その学校はうちの家のすぐ裏にあって、塀ひとつ飛び越せばよいだけの距離やったですのに、何でまた寮生活をさせれれなあかんのか私にはよう分からんかったんです。

14歳の反抗期真っ只中、ということもあって、ほぼ毎日塀を乗り越えて、家に帰ってましたさかいに、そりゃあもう寄宿舎生活とはいえんでしたかなあ。

学校の教師のなかには、戦地から帰ってきたばかりの兵隊さんもいてはったんです。彼らと出会えて、ほんまに良かったと思てます。彼らは世界の果てまで旅をしてきて、血なまぐさい戦場で戦ってきて、散々な目に会うて、多くの友を失わはったんです。私ら子供には彼らの経験を理解せいっちゅうこと自体がどだい無理なはなしではありましたが、彼らの話に影響されて私らは成長したような気がします。

ワイララパカレッジでの生活はオモロかったですなあ。多くの友と出会い、スポーツに明け暮れましたが、勉強はさっぱりでした。

出来ん生徒は居残りをさせられて、時には体罰を受けることなんてざらでして、こういったことから、あまり先生連中とはうまくいきませんでしたな。

校長室のカーペットに膝まづかされてステッキでよう尻を叩かれとったもんで、校長室のカーペットの柄は今でも覚えてますわなあ。