中野整形外科クリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:13

学生時代は、いずこも同じ素晴らしき日々かな。先生もバカやって過ごされたようです。

今回も学生時代の話に、新米PTの切ない話も。

 

オタゴでの学生時代は別の意味でも素晴らしき日々でした。

理学療法科へ入学したのは男性5人と女性45人でして、みんなが中等科からそのまま入ってきてました。女の子らは大学の医学校の若い奴らからよう言い寄られてましたなあ。奴らはそのまま若い医者になっていくのや、いうことを考えると、将来、夫にするには私らなんかよりももっとエエ選択肢になっとった、いうことですかいなあ。私らにも駆け引きやらなんやらありましたが、女の子らと仲良うしたいなんやなんて思いませんでしたわ。

冬になるとフィールドホッケーに打ち込んでましたし、1952年には大学代表に選ばれもしました。夜になると地域のクラブに入り浸って、チェスばっかしやっとって、授業を受けとる時間より、確実にそのほうが長かったんやないですかいなあ。もちろん、勉強せなあかんときには一生懸命やりましたがな。私らの授業のプログラムは、こなすだけでもタイヘンでその上、試験があるのですからなあ。

関節、筋肉の痛みに対して当時推奨されていた治療法には、それってホンマなんやろか、と思てたことを今でもはっきり覚えてます。教えられた治療法として、筋トレや運動療法、マッサージ、赤外線温熱、皮膚への紫外線照射、電気透熱性(ジアルテミー)など、各種物理療法なんかもありましたなあ。

 

2年目に短期の実習がありました。 私らはダナディン病院の胸部疾患病棟へ配属されました。そこでは手術後の患者さんらの機能訓練として、深呼吸訓練をさせてました。 1950年代は結核がはびこっていた時代で、外科的な肺切除や肺を虚脱させるなんかいう治療が一般的に行われとったんです。

私がこの胸部疾患病棟へおった間に、担当しとった術後の患者サンが亡くなりました。手術の大きな傷が膿んでいて、絆創膏がうまいことひっつかんとはがれるようになるから、深呼吸練習の際には傷が閉じたり開いたりしよるのが直接見えるんですな。こらあかんと婦長さんに報告しました。こんなことはめったにあることやないやろから、あとからあんじょうようしよるやろ、思てましたんやが、何日たっても全く状況はなあんも変わらん。こんな状況でなんぼ訓練したかて、無益なこっちゃなあ、と感じたんで、もう訓練するのはやめてしもて、お話するだけにしてましたわ。3日目、病室へいくとベットは空になってて、キレイに掃除されてまっさらになっとったんです。私はホンマにショックでやられてしもて、こんなことが起こるようなトコでは、もう働きたないなあ、と思いましたわ。

数年がたって1952年10月、最終試験も終わり、後は緊張して結果を待つばかり、学校の掲示板に結果が貼られることになりました。私らの仲間内、男性5人のうち3人は合格で、私もそのうちの一人でした。しかし、親友2人が落ちてしもうたんで喜びもしぼんでしまいましたがな。私らは3年間を一緒に過ごして、そら強い絆で結ばれとったんやさかいにね。 そのすぐ後に、軍隊から兵役の知らせが届きました。当時は徴兵制で、大学に行っているあいだは兵役が延期されてたんですな。せっかく患者さんの苦痛やら痛みやらを扱える資格をもろたのに、3ヶ月ものあいだ、普通の兵隊として働かなあかんやなんて、そなあほな、殺生や、大学で勉強したことが、みなワヤになってまうがな、と思てました。

丁度同じ頃に、厚生省からウエリントン近くのシルバーストリーム病院に勤めるように指示がありました。大学の授業料を返済せんならんので、政府の仕事に3年間従事することになっとったんです。

卒業してすぐ、マスタートンへ帰ると、父が会いたいっちゅうて連絡を寄越してきました。それまでほとんど連絡をとったことなんかなかったので私は面くらいましたが、二人で会うことになりました。始めはお互いが気イ使うて、なんやへんな空気やったんで、私も神経質になってましたが、昼食のあとビールを何杯か、次にウイスキーを、ゆうて呑みかわしていると、この父親ちゅうやつは、おもろい奴ちゃなあと気ィつきました。弁護士ちゅう職業や、趣味のゴルフなんかでおもろい話がいっぱい聞けました。離れて暮らしている人ながら、私の人生には誇るべきお人やなあ、とも感じまして、これからも、できるだけ会うて話せる機会を持ちたいなあと思てました。

また新しい出会いがあり、こら人生捨てたモンやないなんて思うと、これからどんなことが私を待ち受けトンのやろねえと、わきあがる希望に身震いしましたわ。