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マッケンジーな日々・お知らせ

2014.12.01

マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:23

ついにスミス氏登場!これからが自伝の目玉です。

 

ここから全てが始まった、といっても過言ではありますまい。

 

偶然が時と場所を選んで化学反応を引き起こしたのか、はたまた必然が偶然を引き寄せたのか。

 

スミス氏と出会わなくても、マッケンジー先生は何らかの方法で新しい治療法を作り上げておられたのだろうとは思いますが、それは、今日のマッケンジー法とはまた違ったやり方、考え方になっていたのかもしれません。

 

では、師匠、どうぞ。

 

 

 

 

 

1956年のいたって普通の日でした。開業して3年目。

 

腰痛と右下肢への放散痛を訴えて一人の男性が紹介されてきました。

 

患者の本当の名前は忘れてしもたんですが、彼のことをスミス氏と呼ぶようにしてます。スミス氏は3週間前からずっと痛みがあった状態でうちに来はったんですが、さらにそれから3週間、私が治療しても症状は変えられんかったんです。腰痛の、当時推奨されてた治療法、短波の温熱療法、マッサージ、ストレッチ体操やらをやってました。

 

その日は少し忙しくて、診療が予定よりも大分遅れてましたんで、スミス氏が待合室にみえたとき、私は彼に、先に空いている診察室に入ってもろて、治療台にうつ伏せになっとってもらうように伝えました。

 

5分か10分して見に行ったとき、スミス氏は腰をエビ反りのような姿勢で寝てはったので、こら、アカン、と思たんです。スミス氏はホンマ素直なヒトですわ、言われたとおり、うつ伏せで治療台に寝たはったんです。

 

前の患者さんが膝痛のヒトで、治療台の頭のほうを上げるようにセッティングしてました。足をストレッチするのに、そうして座ってもろてたほうがやりやすかったからですが、台の頭側を上げたままにしてしもうてるのをすっかり忘れてましたんや。台がそのまんまの位置やったんで、スミス氏は頭のほうを上にあげて、背中を目いっぱい反らした状態、いわゆる「伸展」の姿位になっていた、いうことですわ。

 

当時の常識では、腰痛の患者さん、特に臀部や下肢へ痛みがでている患者さんには「屈曲」して治療する(体を前に曲げたりして、もちろん伸展と逆ですわ)のを基本の訓練肢位として、短波温熱療法や超音波などで受身の処置を追加していく、いうのが通常されてる治療でしたのや。実際、そんな患者さんの腰を伸ばすやなんて、深刻なダメージが残ってしまうンやから注意せなアカン、というてるセラピストもおりました。

 

心配を顔に出さんようにして、「長いことその格好でいたはりますが、いまはどんな感じなんでしょうか」、と訊いてみた。彼の答えにびっくりしましたがな、彼はこれまでの3週間のうちで今が一番エエ感じやと、まくしたてはったんです。どないな状況になってるんか訊いてみると、腰の痛みは強くなってるんやけど、下肢の痛みは消えてしもたやなんて言いはりますねん。彼の症状が変化した原因が私にはよう分からんかったんで、とりあえず、まあ反ってる状態は戻すべきなんやろうと思て、治療台から立たせてみました。下肢の痛みが消えてなくなってましたんや。私はスミス氏に、今日の治療はもうこれで充分やからまた明日来てくださいね、と伝えました。そのとき彼は興奮して、今は腰の痛みがマシになったし、あしの痛みはあらへんわ、と言うやないですか。それでますます私は分からんようになって、もう一度、同じコトをやってもらうことにしたんです。そしたら、えらいこっちゃ、今度は腰の痛みもなくなった、言うてはりますのんや。

 

私が思うてたんとは全く逆の結果ですがな。彼のような状況で、伸展の肢位をとってもろても症状が全く悪うならへんかったんです。

 

スミス氏はエライ喜んではりましたわ。6週間のうちで、はじめて全く痛みがのうなったんやさかいなあ。実際、完治してはったんです。

 

この患者さんとこの治療体験は、私の残りの人生と仕事を左右するものになるのかもしれんなあ、と私はうっすら感じていました。

 

 

 

1957年5月28日、私の娘、ジャンが生まれました。私とジョイが結婚してすぐに脳卒中発作を起こした私の父が、はじめて孫の顔を拝めることができて、私も嬉しかったんです。

 

その頃はまだ私らはアパートに住み続けていたんですが、丁度良い家と土地がないもんかと探し始めてもいました。一年経って、私らはウェリントン近くの郊外に土地をみつけて、はじめての家族の家を建てました。

 

 

 

 

 

 

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