中野整形外科クリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:1 

今回より、マッケンジー師匠、いや、先生に自らの半生を語っていただきます。

マッケンジー先生の自叙伝とは、つまりマッケンジー法がいかにして生まれ、発展してきたかの歴史的な証言ともいえます。

話は先生が生まれる前までさかのぼります。

第一章 幼少の頃

1930年でしたか、ニュージーランドの小さな田舎町、マスタートンで美容師のリリアン・アンダーソンと、弁護士のロバート・マッケンジーが付き合い始めたんですな。はじめは一緒に所帯を持とうとは思てなかったようなんですが、でけてしもた子供を父なし児にはしとうなかったっちうんで、2人は夫婦となり私が生まれるとすぐに別れたんやそうです。私は1931年4月20日、オークランドで生まれ、ロビン・アンソニー・マッケンジーと名づけられました。マスタートンという小さな町でのこと、噂をたてられるのが嫌だったからか、リリアンはオークランドに移って私を生みましたんや。

私の母は、女の美容師としては成功したヒトやったようでしたが、全ての人生を私のために捧げるちうような覚悟をしたらしい。私らの生活には冷蔵庫も車もあらしまへんでしたが、私はいつも何かに守られてるような安らかな気持ちで日々を過ごしておりました。

当時の世間様には到底受け入れられなんだシングルマザーという偏見にいかに母がさいなまされとったんか、その頃の私には分かりませなんだんです。大きゅうなるにつれ、父が私に連絡したり会おうとしよるのを、母が邪魔だてしよるのに気がつくようになりました。母からは父がどないに悪い男やったか、よう聞かされてましたな。

母が父と知り合うたころ、父には15歳になる娘、ジョセフィンがおったことを後年知りました。父はマオリランド裁判所に勤める弁護士でした。マオリランド裁判所は1930年代にマオリ部族居留地で起こる問題を解決するために設立されたんです。

父は母に私の養育費を毎月払とったようですが、私と父とで一緒になんかするようなことはホンマにトンと無かったですな。父が事務所へ出勤する姿を見かけることはよくあったんです。子供の頃、父と会うたのは4,5回くらいですか、最初は10歳のときでした。

今となっては子供が親に会えんような状況は許されることではないですけどな、大人になった今では、子供の頃に父とよう会えなんだのを残念に思とります。母はその地域に住むマッケンジー家の親類をことごとく私から遠ざけようとしとったのやと、あとになって知りました。