中野整形外科クリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:15

充電期間を経て、さてこれから本格的に理学療法士としての生活がはじまり、どの時点からマッケンジー法の確立へと向かうのか、と思いきや、まだまだイロイロ回り道があるようで、、、。

マッケンジー先生がいかにしてマッケンジー法を確立するに至ったのか、がこの自叙伝の目玉といえるところだと思うのですが、まだまだそのハナシまではまだまだ。

お楽しみはこれから、です。では師匠、どうぞ、、。

 

第3章 軍隊生活のころ

1952年11月終わりのころの、シルバーストリーム病院での仕事の話をしていましたな。

日本軍との太平洋戦争で傷を負った兵を入院させるためのプレハブの建物をアメリカ海兵隊が建てていました。元々長期間使うように建てられたもんではなかったんですが、厚生省が長期で使うようにしてしまいよったんです。

私には中心の建物のそばの小さなアパートを割り当てられました。職場の周りの人らや、患者さんらと親しうするにはうってつけの場所やったですかな。

病院にはごっつい魅力的な看護士のお姉さん方がいたはったんです。一人、黒髪で青い目をしたヒトがおりまして、私は、こらキレイなひとやなあと思てました、、、それがジョイ・ジョンストンですのや。私はすぐにすぐに恋のとりこになってしまいましたわ。私ら二人は病院のアパートにそれぞれが住んでましたんで、頻繁に会うようになりました。 それやのに、もうそれ以上遅らせることのできへん徴兵の時期が段々迫ってきたのにはたまらんかったですなあ。

ウエリントン病院理学療法科の責任者、パット・アンドリューは、オタゴ大学から新しく配属されることになっておった人材が軍隊にとられることになって、シルバーストリーム病院を辞めんとあかんようになったことを知ると、ひどく腹を立てとったようです。そやかて、軍は問答無用ですわいなあ。

当時、ニュージーランドの若者は14週間の軍隊訓練を受けんとあかんかったんです。18歳になると徴兵されて、本人の性格やら受けていた教育の質なんかで海軍、陸軍、空軍へ振り分けられるんですわ。大学へ行った私らのような者は、大学の過程が終わるまでは待ってもらえたんですな。

思てたとおり、12月のはじめに、1953年1月末までにリントン軍キャンプに出頭するようにとの命令が届きました。キャンプはパルマーストン北部で、ウェリントンから車で北へ2時間くらい行ったところですわ。大学の資格を持っとったんで、王立ニュージーランド軍の医療隊へ抜擢されて、第2総合病院に配属されました。病院いうても、レンガとモルタルの立派な建物やなく、テントと、1年くらいはもつやろ、いうくらいの装備があるだけのまあ、そういうやつでしたわ。

はじめの4週間はリントンキャンプでの基礎訓練があって、それを終わらせたら次の段階へ進むまえに3日間の休暇がもらえました。 4週間ものあいだ、離れ離れで過ごしていたんで、私はウェリントンに帰ってジョイに会いとうてたまらなんだんです。手紙でのやりとり、それもまたよし、ではあったんですが、そら一緒におるほうが随分エエですわな。

残りの10週間の訓練はワイオウルキャンプで過ごしました。ちょうど北島の中央にあるタウポ湖の南のほうにあって、車でさらに北へ2時間走ったところにありました。ワイオウルはホンマに荒れ果てた辺境の土地で、ほとんど全体が軍キャンプになっていました。標高3000フィートの活火山、ルアペフ山がすぐそばにありました。夏も終わりに近いくらいの頃やのに冷たい風が吹きすさんでかなわんでしたし、まったく荒野での訓練といった趣きでしたなあ。夜には気温が氷点下になってバラック小屋ではちょびっと暖房設備があっても、どもならんでしたが、はつらつと過ごしたかけがいのない時間でもありましたかな。