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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide :4

マッケンジー先生が美容師になっていたなら、私もマッケンジー法なんかを診療に取り入れたりすることもなく、そのまま病院勤めで今でも手術に明け暮れる生活を続けていたのかもしれません。

人生、分からんもんです。では師匠、どうぞ,,,

 

幼いころに警官との関わりのなかで、世の中は公明正大で、権力は良いことのために使われるものなんやと実感させられたことがありました。

そのとき、私は6歳、学校から歩いて帰ってるときに、ディブ・マクローランちゅう、でっかい悪ガキがおって私のなけなしの2ペニーを盗りよったんです。

家に帰ってから、母はサロンで仕事しとりましたもんで、自分で電話台によじ登って警察に電話をかけました。とんでもない事件に巻き込まれた、ゆうてね。

午後になって、ディブが盗んだお金を持って私のところに謝りに来よりました。

ディブは後にもっと大きな事件をやらかしてまた警察沙汰になったりしよるんですが、私が何やされることは一切無かったです。

私の母は熱心な社会主義者で、ソビエト連邦にもつながりのある労働党に入っていました。

社会主義の一家の6人の子供のうちの一人でした。

1908年にイギリスからニュージーランドに移住してきて、一家全員が社会主義の活動家になったんやといいます。

母は毎晩社会主義者や共産主義者の同志たちを家に招いとりました。

私が7、8歳のころ、第二次世界大戦の頃まではこんな調子でしたわ。

なんやかやこういったことで,保守的なこの地では母はちょっと目だった存在やったんでしょうなあ。

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