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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:14

学生時代の話が続きます。旅する若きマッケンジー先生、バッグパッカーとしての貧乏旅行でのニュージーランド国内漫遊記。

ではどうぞ。

 

卒業して3週間後の11月初めから、シルバーストリーム病院で働くことになりました。それまでのあいだ、夏休みをとるのにはまだ充分時間の余裕があったんですわ。美しい国やといわれとることは知ってましたが、これまで私はこの国を見て周ったことがなかったんで、エエ機会やし北島を一周ぐるっとヒッチハイクで周ったろうやないかと思いました。ほぼ文なしではありましたが、母がくれた10ドルと服の着替えと寝袋だけを持って、私は旅に出ました。

乗せてくれはる人はぎょうさんいてました。2-3マイルでサヨナラすることもあれば、長距離を乗せてくれはる人もいました。一晩15シリングやとか、汚いけど10シリングゆうようなホテルにも泊まりましたな。初めて見る素晴らしい景色に、畏敬の念を抱かされたりもしましたし、おもろい人らにぎょうさん出会いました。

島の中心まで来て、砂漠の道を超え、ルアペフ火山やヌガウルホエ火山を過ぎ、北のタウポ湖についたら、次に私は東海岸へ向かうことにしました。トラックの荷台には建築用の長い柱や資材がたくさん載っとってですな、私は無事を祈りながら柱の間にじっと身を潜めてました。長く続くデコボコ道でどうやったら山高く積まれた大袋のなかでうまいこと立ち回れるンかもその時に学びましたなあ。大袋のなかに、なんやら黒い油にまみれたもんが入っとったのが大学のブレザーの背中についてしもたんですが、それが私の一張羅のジャケットでしたんや。

ぽつんと離れたトコにある小さなタネアツアの町についたら、目に付いた唯一の店に入りました。それは古い木造のビルで、色あせた看板には「グレート・タネアツア・ジェネラル・ストアー」と書いてありました。30年前の昔に逆戻りしたような店でしたな。呼び鈴を鳴らして数分待ってると白シャツに黒エプロン、ネクタイをつけた老人がでてきよった。ドライクリーニング洗剤がないか、と私が訊くと、あらへん、と即答しよった。

裏にいた誰やらかに声をかけてましたが、女の声で、今まで誰もそんなもんを買いに来たヒトがおらへんし、との返事がありました。そないに言うなら、と四塩化炭素(洗剤の原料)は無いんかどうかて訊くと、女の声で、それを作っとった会社がつぶれてしもてもうあらへん、との答えがあり、男もおんなじ答えを繰り返しよった。ジャケットの染みとは、なんとか一緒にやっていかなしゃあないようになってしもたんで、なるべく染みのことは考えんようにしようと心に誓いましたわ。

外に停まってる車に座っとったマオリ族の男に、町の南、ワイオエカ峡谷からギスボーンまで行くのにはどれくらいかかるのやろか、と訊いてみた。40-50マイルやろかなあ、と答えが返ってきた。とりあえず前に進むことにして、誰か乗せてくれる人がおらへんか祈ってました。峡谷へ入って2-3マイル行ったところで、道の逆側に車が停まってました。前のボンネットから蒸気が噴き出して、男がラジエーターに水を注いでいるのが見えました。

どこまで行くのや、と男が訊いてきたんで、ギスボーンまでやというと、夜にはこの道にはほとんど車は通らんからなあ、そらタイヘンやぞ、とブツブツ言うてました。朝の1時頃には作業車が来るのやと彼はいうてました。

望みを掛けて、このまま進むべきか、タネアツアに戻って泊まれるトコを見つけるべきか、泊まれるような宿なら町に見かけた気もするんやが、それも確かなことやあらへん。

私はそのまま進むことにしました。このとき、すでに夜の9時30分になってました。辛うじて道が見えるほどにはまだ明るさがありました。11時30分になってもどっちの方向にも車が姿を現すことはなかっったですわ。

私はリュックを道の真ん中に置いて、道路から少し離れたところで寝袋に入りました。エンジンの太く低い音が近づいてきて、私はリュックをとりに道にでました。ありがたいことに作業トラックが停まってくれました。ギスボーンへ行くトラックでしたが、その前に峡谷の真ん中にある作業所に行くのやとのことでした。

道は狭く、舗装なんかしてへんので、絶えず補修せななあかんような有様でした。その作業所では3週間、峡谷の道路補修工事をして、それから休暇をとるちゅうようなやり方で仕事しとったようですな、その晩が3週間の仕事明けになる最後の晩やったようで、みんなでパーティーを開いてました。トラック運転手はいつもパーティーに呼ばれていたようで、私も場に加えてもらえることになりました。ただ、ドライバーが酔いつぶれんように、私をギスボーンまで連れてってくれますように、とは祈ってましたなあ。

作業所に近づくと巨大な焚き火の炎が暗闇の中に燃え上がってました。その夜のことやら、作業所のこと、マオリ族の作業員のことは忘れられんですな。トラックドライバーと私を除いて、パケハ(マオリの言葉でヨーロッパ人達)が誰もおらん、みんなマオリ族の人らばっかりでした。焚き火の周りには見渡す限りの荒地が広がったなかに木の小屋が点在してました。明るさや暖かな雰囲気から、もっと大きな焚き火かと思ってましたが、豚や羊を焼いているもっと小さな規模での焚き火でした。火が小さくなると作業員の一人がマキをくべてました。ビール樽が2つあり、たてつづけにビールを注いでる人がおりましたなあ。30人からの男衆らがビールを酌み交わしてました。ジョッキが回ってきたのに、それを断るなんてことはできるはずもない状況やったですし、私らがついた頃にはみんながほろ酔い加減で、場がホンマに和んでましたわなあ。

私もホンマにエエ心持ちでした。マオリ族の長老らしき男が私に、なんでこんな夜中にこんな場所に来ることになったんかと訊いてきました。私がこれまでどのように越してきて、これから何をしようとしているのかを話しました。

彼は、私がウェリントンに帰ったときに、友人らに今晩のことをどう話すのやと知りたがっとるようでした。マオリ族の奴らと楽しい一夜を過ごした、というんか、呑んだくれの黒い奴らがいっぱい集まっとった、というのんか。

よう考えてると、分かったんです。まだいまだに正当化されてない植民地時代の不正が彼ら原住民たちに、かなりの恨みつらみとして残っていることを。かなり後、何年もたってから,マオリとパケハの間にぎょうさんいさかいがあったこと、住む土地を追われたマオリ族がつらい目におうてることを知りましたんや。政府の補償が行われることになったんは、まだ大分あとのことですわ。

パーティーを後にして、トラックドライバーはグデングデンに酔ってたんかもしれんのですが、かなりゆっくり目のノロノロ運転でギスボーンへ向かいました。

ギスボーンで朝食をとって、私らは別れました。

私はその後もホークス湾を抜けて南に旅を続けて、シルバーストリーム病院へ戻りました。

最初から終わりまで、みながみな楽しい休暇となりました。そしてはじめて、仕事をしたいなあと、心から思うようになっていました。

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