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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:3
マッケンジー協会のマークのあの蛇みたいなのは、マッケンジー家の紋章だったということですか、ではあの大角鹿はなんなんでしょうか。自叙伝3回目です。
私は生後6週で幽門狭窄症だと診断されました。胃と腸の通過障害を起こし、つまりは食べ物が胃から腸へと流れていかんようになる先天性の病気ですな。
この病気のために手術を受けたんは、1931年では、私がニュージーランドで2番目やったそうです。
手術せんと死によるし、助かるのんは奇跡的なことやと言われとったんや、と母から聞きました。
15歳と35歳のときに癒着したトコを剥がす手術をしたのは、まあ、おまけみたいなもんですわな。
小さいときに死ぬような目に会うたからか、母は私を壊れ物扱いして大事に育ててくれました。
母は体力的にも知力的にも私がこの先うまいことやっていかれへんのやないかと思てたらしく、自分のあとを継いで、女性相手の美容師にならんかと私に勧めてくれてました。それやのに、一方ではもっと勉強せえ、いうて、ほんで学校の教育内容も良うない、いうて次々によう転校させられましたわ。
数えると6つの小学校に行った勘定になりますかいな、そのうちのひとつがウェリントンにあるスコットカレッジという寄宿舎で、家から列車で4時間かかりました。
たった6歳の私はホームシックになって、ほんの少しおっただけで、すぐマスタートンに帰されましたな。
小さい頃、若いときの思い出はようさんあります。
若いときに良くある成長の物語のほかにも、ニュージーランドの田舎町でこそ得られる冒険譚なんかもありますなあ。