リハにしろ、ブロックなど注射対処にせよ、
次に来られた際、痛みは全然変わらない、と患者さんに言われると、
どうもすんません、と申し訳ない気持ちになります。
でも一方で、ほんまにそうか?との疑義もあって、
それは、「職人」としての矜持からでしょうか、わしのみたてが違っとるっていうのかっ、とのちょっとした怒気をはらんだ感情がふつふつと底のほうに沸き上がってくるのは、いかんともしがたいです。
わしもまだ、未熟よのう。
で、どういう痛みが「変わらない」のかを訊くんです。
なんの痛みが変わらない、から「効果がない」、と感じておられるのかを捉えようとします。
肩を挙げると痛みがあって、その頻度が段々増えてきている、との訴えの方。
110度くらいの制限された前方挙上の最終域で肩の外側に痛みが、との訴えでした。
肩甲骨、それにつながる背骨(頸椎/胸椎)の動きも悪く、
「肩」の動きだけ(肩甲骨と上腕骨の間の動きだけ)で腕を挙げようとされているのが特徴的。
肩で、引っ掛かるような動きで誘発される痛みはなく、
挙げにくい状況のなかで、無理に挙上されようとするので、
肩の後ろから外へ回るように走る、腋窩神経の刺激症状が痛みとしてでているのだろうなあ、と判断。
腋窩神経周囲の筋肉など軟部組織をゆるめるようなブロック注射をやってみました。
直後、横から挙げる動作での痛み誘発が「消えてる」といわれました。
が、次回、来られると、「痛いままで、まったく効果ない」と
何の痛みが変わらないのかを確認すると、
前から挙げる動作での前方の痛みが変わらないと。
その痛みは、おそらく、肩前方の腱板疎部と呼ばれる箇所で、腱組織の滑るような動きが出ていないことによるものなんだろう、と推測します。
いやいや、そとから挙げる際の腕の、外側の痛みはなくなってるでしょ?
ええ、まあ、そうです。
じゃあ、この前の注射は、外側の痛みには効果はあるってことですね?
そうですか?
→そうでしょ。
禅問答のようになってます。
魔法ではないので、注射一発ですべての痛みが消え去ってしまうなんてあり得るはずがないのに、
痛みがあるから、なぁんにも変わらない、
なんて言わんといてほしいんですが、
そういう人は少なくないです。
吾唯知足(われただたるをしる)。
龍安寺の北側の庭に置かれたつくばいに掘られた言葉です。
意味は、「私は、満ち足りていることだけをしっている」
不満を感じず、満ち足りた気持ちを持つことが大事だという意味がこめられています。
痛みがあると、あれもできない、これもできない、きぃーっ、なんて精神状態にもなってしまうんですが、
立ち止まって、ふりかえってみると、
ああ、こんな、前に、できてなかったことができるようになった、
おお、こんなこともできるぞ、
そういうこともみつかるようになります。
痛みでイロイロお困りかと思いますが、ちょっとずつ、できることを数えていけば、道は開けるものだとおもいますよ。
神の手で、一発で痛みをとる、ことなんて到底できませんが、
あきらめずにつきあっていただければ、
なんらかの道をさぐりつづけて、一緒に歩んでいきたいと、
私、中のをはじめ、理学療法士のWサイトーともども、そんなことを考えておりますです。
吾唯知足だってか、、
一生かかっても聴ききれないほどの様々な音源を所持しているのに、
中古盤屋さん巡り、ヤフオク/メルカリの徘徊をやめられない私が、どの口で言うとんねん、とも反省しきり。