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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:20
政府関係者の来院もあったというマッケンジー先生のクリニック。
大阪でいうなら本町や淀屋橋、北浜あたりでの開業だということでしょうか。
仕事は順調。恋愛も、、、
では師匠、どうぞ、
あんな、こんなことが起こっているあいだも、私はジョイと恋愛中でした。
彼女にはホンマに恋をしてました。シルバーストリーム病院でのつつましい生活で、我々は一緒に多くの時間を過ごしてました。
夜間外出禁止令が出とるのに、夜中の2時にジョイが看護師の寮の窓から抜け出てくるのを手伝っとったトコロを管理人さんに捕まったりもしてまして、婦長のお怒りを買ったジョイはハット病院へ転勤と相成りました。
ウェリントンで開業することになり病院を去るまで、あからさまに私はずっと守護神に見張られてたようになってましたなあ。
1953年、ジョイとつきおうていたころ、警官との3度目の邂逅がありました。
ハット病院へ彼女を訪ねて行った帰り、シルバーストリームに戻ろうとしてたんです。午前1時30分。バスや列車はもう動いていない時間、そしてタクシーの営業圏内を外れた場所。
ヒッチハイクを試してみましてん。その時間には通る車もほとんど無かったのんが、ついに一台が近づいてきて停まってくれはったんです。
と、二人の警官が顔を出して、こんな時間に何しとんのや、と職務質問ですがな。
私が酔っ払いやないことを確認してから、道の端に寄らなあかんと注意してきた。歩道におったら通る車から見えんようになるやないか、と文句言うたんですが、あくまで彼らは車道から離れとけって言いよった。
そう言われて、黙ってられますかいな、言葉を選んで、、でもついて出た言葉は「ゲシュタポ!」。
私は即座にパトカーの後席にぶち込まれて警察署に連れて行かれました。
尋問されてて、理学療法士のつづりを訊かれたときにわざと聞き取られへんようにサッと答えたったもんで、巡査長は頭にきとったようですわ。3回くらいやり取りがあって、彼もあきらめたようでした。
釈放されることになり、家に帰れ、いわれました。数マイルも遠いところに連れてこられて、時間もなんもかも無駄やったやないか、と文句を言うてたトコロを巡査長につまみだされて、また家路への長い旅がはじまりました。
かなりの時間、歩いていると、近づいてきた1台の車がなんと停まってくれはった。顔をのぞかせたのは、あの一番最初の警官やったんです。
シルバーストリーム病院まで送ってもらうことになり、彼は腰やら頸やらが痛くなったら、助けてもらわんとアカンからなあ、やなんて冗談めかして言うてはりました。