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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 50
マッケンジー先生のおはなし、久しぶりの更新となります。
1週間に1本とのノルマを自分に課していたのが、自宅の引っ越しやらなんやら口実を作っては伸ばし、伸ばしで、例によって、できないこと/やらないことの言い訳はいくらでもあるもので、結局更新しないことが常習化して今日に至っています。
ほぼ身内しか見ていないだろうこってすので、まあエエか。
ボチボチ行こうやないですか。
ではまた、師匠、よろしくお願いします。
1975年、Monacoでの学会で一瞬、注目を浴びてから4年のあいだ、私の治療法が世の中に理解されたり、受け入れられたんかというと、まあ、そういうこともなく、大きな進展もないままでして、、、これを広めていくんは大変なことやろけど、まあしゃあないなあとも思うようにもなっていました。
財政上の相談を会計士のPeter Lawsonにしてると、彼が言うに、何かの専門家がゆったり老後を過ごそう、思うんやったら大きな見返りがあるような投資をせなあかんのやそうな。
で、その配当所得の税控除から得た利益で生活していくんがエエんですと。
この話を聞いてJoyと私はWellingtonから北へ1時間のトコにあるWaikanaeの海沿いの村に56エ-カ-の土地を購入しようときめましてん。
子供らのために家族の家を建てて(Janは家を出たがっておったんですけど)、何や動物を育てて、野菜を作るんですわ。
忙しくたち働いたあとの静かな余生を過ごしたいと思てましたんや、自分が信じる治療法が世の中にホンマに認められることもない失意を抱えながら、ですわなぁ。
Waikanaeの家は砂丘のてっぺんにありましたんや。
海抜100フィ-ト、海からは500ヤ-ド離れとる見晴らしのエエ場所ですわ。
海岸が見渡せて、晴れた日にはCook海峡の向こうの南島まで見えるんです。
患者さんで解体業者をやってる人がおって、3万個の古レンガを都合つけてくれはりました。
もともとWellington病院の食堂を建て直すときに出てきた廃材で、鉄の屋根やら雨樋、壊れた扉、窓枠、窓ガラス、敷石、タイル、床板なんかと一緒に、ひっくるめて買いとりました。
数週間をかけてガラクタを清掃し,ブルド-ザ-を借りてきて巨大な穴を掘って、使いもんにならんやつを全部穴に放りこんで埋めたりました。
家を建て始める前に、まず古レンガのモルタルをはがしてきれいにしました。
週末になるとJoyと当時10代の悪ガキども3人と私とでレンガを積んでいきました。
こらまた莫大な労働ではありますが、やらなあかんかったんですもんね。
古レンガを半分ほど使ったトコロで家ができまして、エエように風化してますのやわ。
レンガのなかにはconvict’s arrow(囚人の矢印)がついてるもんや、ハンドメイドであることが分かるような指の跡が残されてるもんもありましたわ。
19世紀末に囚人がWellingtonでのレンガ製作に関わっていて、そこで作られたやつにはそういう矢印が刻印されてるんですわ。
家が完成したとき、すでに数十年来、あたかもずっとそこに建っていたかのように古色を帯びた建物になってましたわ。