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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 52
北米は、現在、世界の中でも、一番マッケンジー法の考え方が広く受け入れられている場所といっても過言ではありますまい。
その北米で、いかにしてマッケンジー法が広がっていったのか、この章ではそのドキュメンタリーです。
既存の考え方の枠にはまりきらないマッケンジー先生の治療法には、当然のように各地で拒絶反応が巻き起こったようです。
でもある種の真実を突いているものは強い。
どんな抵抗があろうと、本物は生き残ります。
マッケンジー法、といえば、反らす体操でしょ、という枠がいつまでたってもはずれることのないこの東洋の島国でも、最近になって少しは陽の目を見出せるようになっている、のでしょうか。
まだまだ道のりは遠い、ですけどね。
では、師匠、どうぞ。
第9章 The USA
私は45歳になってからも、相変わらず、毎日Wellingtonのクリニックで診療をしてました。
Colin Davisはクリニックを退職し、代わりにTom Burgiが入ってくれてます。スイス出身で、流暢にドイツ語を喋りはりますのや。
もひとつ、小さなクリニックをWaikanaeにつくって、そちらへは週に2、3日通うようにしたらエエかなぁと思てましてん。
「狼を扉に近づけない」ようにするのが賢明、なんて陰で言われとりましたかなぁ。
私は知らんかったんですが、そのころNew Zealandの理学療法士Ace Neame先生がカナリア諸島での学会で、MDTについての発表をしてくれてはったらしいんです、
彼はMDTの価値を初めて認めてくれはった理学療法士の一人でして、5、6年前、Monte Carloで私が発表した患者の画像についての話をしてくれてはったといいますねん。
北米から来ていた理学療法士Alice McCleary先生が、Neame先生の発表で私が報告した例の急性側弯変形の徒手整復症例についての話を聞いてはったらしいんです。
国に帰って同僚に、McKenzieという輩が、なんや難しい症例に取り組んどる、いうようなことを話さはったらしいんですわ。
それからすぐに、Los Angelesの大きなリハビリテ-ション病院へ勤務したはる二人の理学療法士、Kathy HoytとBarbara Stoneの両先生方から、お誘いがかかりました。
私がやってるやり方について、かの有名なRancho Los Amigos National Rehabilitation Centerで講義をしてくれへんか、いうんです。
私は手紙を握りしめたまま、信じられへん気持ちでいっぱいでしたわ。
ずっと、こんな機会がこおへんやろかと心待ちにしてましたんや。
願ったり、かなったり、というやつですわなぁ。
1977年に初めてLos Angelesを訪れた時に、Barbara、Kathyの両先生方から、Rancho Los Amigosの整形外科部長、Vert Mooney先生を紹介されました。
彼は理学療法に理解があり、理学療法士の技術を信頼してくれてはるんです。
Mooney先生は病院内でも、学会でも傑出した存在でしたんや。
後にアメリカ整形外科学会の会長にまでなった人ですわ。
私が非常にややこしい患者さんの診療デモンストレ-ションをするのを、Mooney先生はホンマ熱心に聞いてくれてはりました。
学会誌なんかに載っとる科学論文でいわれているようなこととは、全く反対のことをやってるかのように見える私の方法に、関心を持ってくれはったみたいなんですわ。
講演の中で見せる、患者さんのデモンストレ-ションとしては、わざと、最高にややこしそうな患者さんらを集めてもらうように頼んでおいたんです。
Rancho Los Amigosでの講義とデモンストレ-ションは4日間。
私はこれまで、参加してくれてはるセラピストの目の前で、実際の患者さんを診療するのをマルゴト見せるべきやと信じてやってきました。
で、また彼等が一番難渋しとる症例で、デモンストレ-ションをしてみせたかったんです。
そのほうが見とる人にとって、インパクトが強いんやないかと思たからですわ。
でも、このアメリカのリハビリテ-ション病院では私が思てたより、ずっとややこしい患者さんがいてはりましたんや。
はじめに診た患者さんは7回も腰の手術をしとった人でした。
うまいこと症状を良うすることなんて到底できなんだですし、次の患者さん、5回手術を繰り返した人でもうまいこといきませんでした。
3人目も症状が良くなったとは言えず、私は失望のどん底でした。
たまたま聴衆の中に、長いこと腰痛を患っとるいうセラピストがいたはって、治療のデモンストレ-ションを受けてもらうことになりました。
彼女がこの4日間でうまいことエエ反応を示してくれはったんで、聴衆も私に愛想をつかさんとついてきてくれはったんやないでしょうか。
とはいうても、せっかくの絶好の機会をぶち壊してしもたようなんで、私はガッカリでしたんや。
10や12の内で1つだけ成功した、いうても、誰も納得してくれはれへんやろうとは、わかってましたしね。
私にとって絶好の機会となる今回の旅には、妻のJoyと娘のJanが同行してくれてまして、ホテルの部屋で私を待ってくれてたんです。
私はビッグサイズのジントニックを頼んで、アメリカ人聴講生らの心をとらえることが出来なんだことやら、とっとと家に帰ってしまいたい、なんてグチを聞いてもろてました。
一方で、ほんま、有り難いなあ、と思てるんですが、治療がうまいこといった患者さんが私の治療法の価値をMooney先生にコンコンと説得してくれはったみたいで、それが私にとっての大きな突破口になったんです。
Mooney先生はたいがい影響力のあるお人でしたんで、不可能を可能にするようなことができはりますねん。
で、実際そうなったんですわ。
彼の支えがあったからこそ、今日に至るまで私は歩きつづけてこれたようなもんです。