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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 53
次第に広がるマッケンジー先生の輪。
現在、世界中でくまなく行われている講習会でも、それぞれ実際の患者さんが登場します。もちろんこの日本でも。
治療がうまくいくこともあるし、うまくいかないこともあります。
うまくいかなくても、評価、治療をすべて、患者さんとセラピストのやり取りをまるごと講習生に見てもらうんです。
それがマッケンジー先生の意志だから、だといいます。
治療がうまくいかなかった時には、マッケンジー法の効果に泥を塗ることにならないのか?
マッケンジー法は、治療法というだけではなく、病態を評価するシステムだというのが、その答えです。
神さんやないんですから、すべての病気をたちどころに治せる治療法なんかあるわけないですもんね。
どのように病態を分類し、そしてその分類に基づいた治療法を適応させるか、そういう考え方そのものがマッケンジー法です。
うちに来られる患者さんで、雑誌や本に載っていたこの体操をずっとやってましたが症状変わらなくて、などとおっしゃられる方がよくおられるんですが、それはマッケンジー法ではありません。
すでに、マッケンジー法ではなくなってしまっている、というんでしょうか。
マッケンジー法は、反らすタイプの腰痛体操、というのも違います。
反らすこともある、腰痛体操、というのが正解です。体操、とは呼びたくないんですけどね。
長々と前説すいません、では、師匠、どうぞ、、、、
講演としてはまずまずの成功をし、ものすごうややこしい症例でのデモンストレ-ションやったという点を差し引いたら、失敗やったんか、はたまたなんとか踏ん張ったと言えるんか、まあそこんとこは私にはよう分かりませんが、とりあえず、また次に呼んでもらえることになりましたわ。
翌年、2回目のRancho Los Amigos病院での講演では、何回も手術を受けたはるようなややこしい患者さんやなく、もっと普通の腰痛患者さんでデモンストレ-ションを行いました。
4日間で患者さんの症状は大きく変化し、ここ数年来、頑固に再発を繰り返してはった症状を改善させることができましてん。
私のデモンストレ-ションをみはった医療関係の方がたたが一様に驚いてはったのは、私がハッキリと、早期に反応する群、それより緩やかに反応する群、反応しない群を分類して対処しとるっちゅうことですわ。
他の利点があることもだんだん分かってきましてね、診断する、いう意味でも使えるシステムなんですわ。
腰痛それぞれに決まったタイプの反応があって、今では最初の段階で,典型的とはいえんまったく違った反応をするのをみて、より重篤な状態が隠れているようなのを見抜けるようにもなってましたんや。
腰痛はいつも、簡単に治せるいうわけもないですし、またメカニカルに反応するとも限らへんのです。
うまくいく見込みがあらへんと分かってる患者さんには、いたずらに治療を続けるんやなく、適当な専門医に紹介することにしてますのんや。
Los Angelesと、San Francissco、Pittsburghに、それぞれさらに4日間の講演の予約がはいりました。
噂が広まっていってるみたいで、私は大得意でした。
どの講演にも4-50人の医療関係者が集まってくれはって、みんなホンマに熱心ですのんや。
いまだかつて、映像で、ではなくナマの患者さんを、医療の専門家らがぎょうさんいたはる前で治療してみせるなんざ聞いたこたぁないですわな。
4日間の教育講演のなかでのデモンストレ-ションの成功率は70パ-セントくらいでしたでしょうか。
この破天荒な教育法は他にはないもんでして、北米のセラピストらはすぐに高う評価してくれはりましてんわ。
どの講演でも3-4人の人から、自分らの病院へ来てくれへんか、とのお誘いがかかりました。
1978年の終わりの頃には、すでに翌年の予約がつまっていたほどですわ。
もちろん、全ての人らが熱心に受け入れてくれはったというんでもないですんや。
地域の腰痛治療の専門家っちゅう立場におられる治療家の方々には、私があたかも縄張りを荒らしてるかのようにとらえてはる人もいたはったみたいですけどね。
講習にはいっつも一人二人はそういう輩がいたはりましたわ、で,私は講習の初日の朝一番で彼等を見つけ出せるるようになりましてん。
ご自身の誤った理解を明らかにするために質問してきはるんではなく、彼等は私に科学的な知識があるんかどうか、試すような質問をしてきはりますねん、で、私にダメ出しをしようとしはりますねんわ。
講習のじゃまになる、そういう面々をどう扱うたらエエのんかは、すぐに解決できました。
同じような質問が繰り返されてましたんで、私はきまって、はぐらかすように、用意した答えで返しますねん。
「まだ不十分なエビデンスしかありません」と返すか、「まだ、どちらともハッキリしていません」と答えるか、ですわ。
どちらが正しいということもいえず、当時としてはどちらも正解でしたわけですものなぁ。