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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 57
整形外科医が集まる学会で、おそらく超アウェーな状況で講演するマッケンジー師匠。
分からず屋を説き伏せる努力を思うと、ため息がでますが。
マッケンジー法が認知されていくためには、そして自分たちのしていることがマヤカシや詐欺まがいのええ加減なことじゃあないんだと周りに知ってもらうためには、
自分たちのやっていることをしっかり説明していくことは、ぜひ必要な、そして大事なことなんだとは思います。
それは今の状況も同じで、、
でも、莫大な説明努力を果たして、周りに認知されるようになり、マッケンジー法がどんどん広がって、筋骨格系の問題に対する標準治療として多数の患者さんに対処できるようになることよりも、
ただ目の前の患者さんに喜んでもらえたら、それだけで、、、
なんてこと言ってるから、マッケンジー法がこの日本でなかなか広まっていかないのも、私の不徳のいたすところもちょっとは関係あるようで申し訳ありません、師匠。
では、師匠のハナシに、今日も聞き耳を、、、
1983年にシカゴで行われた、アメリカ整形外科学会の講演によばれました。
以前、ニュ-ジ-ランドで初めて整形外科の先生方の前で講演をして、悲惨な結果になったことを思い出さずにはおれなんだんですが、同じ過ちは繰り返すまじ、というだけの自信はありましたわ。
私には20分の時間が与えられてまして、2000人の整形外科の先生方がいたはる前で私の理論と治療法についてしゃべりますねん。
もし患者さんが伸展の最終域までしっかり、頻回にエクセサイズを反復してくれはるんやったら、神経を圧迫しとった椎間板の髄核が動きだし、痛みはだんだん減ってきますねや、と。
私の発表の最後の結論のとこで、有名な整形外科医John McCulloch先生が立ち上がって質問してきはりますねん、
どうしてそんなに椎間板が動くだなんて主張をしているのか、と。
彼やまわりの先生方、整形外科医の常識では、椎間板が動くなんてことはとんでもないことやと、
そんなこと言ってると、不評を買ってあなたの名誉にも関わるかもよ、なんや言うてきはりますねん。
私は言葉を失いましたわ、こんな失礼なハナシはないんとちゃいますかいな。
その場をどうとりつくろうたらエエのんか、呆然としてまいましたし、屈辱感にさいなまされとりましたんや。
あとになって、、、、でも、もう手遅れですのやけど私が答えるべきはこうでしたわ、
椎間板が動かへんいうのんやったら、整形外科医の先生方が手術で転位した組織を取り除こうとしてはるのは一体、なんですのんや?
セッションのあと、部屋に帰るまでのエレベ-タ-の中で、会場から帰る先生方と一緒になったんです。
そのうちの一人がこう言うてきはりました。
「マッケンジ-さん、あなたのお話から私が理解したところでは、手術を受けるような状態の患者さんのあしの痛みを取り去って、痛みを背中のほうに移動させることができ、それなら手術なんて必要ないと言っておられるように見受けられましたが、そうなんでしょうか?」
私が「そのように考えていただいて結構ですよ」と言ったとたんに
「そうじゃない人もいるでしょうっ!」、
こんな言いがかりはもうたくさん、ですわ。
すぐあとにニュ-ジ-ランドにもどることになり、怒りと当惑とがない交ぜになった、とてつもなく空虚な気分のまま、二度と合衆国には戻るまい、と誓ってましたわ。
そやけど飛行機の中でちょっと1杯ひっかけて、2杯が3杯になると世界はそんなに悪くないもんやと感じてきました。
屈辱は不屈へと変わりました。
必ずや舞い戻って、クソ馬鹿野郎たちに教えてやるんや、何回もなんかいも何度もなんども戻ってきたるからな、と。
USAに協会を立ち上げてからすぐにヨ-ロッパ全土やオ-ストラリアからいち早く講演とデモンストレ-ションの依頼が舞い込んできました。
協会として依頼に応じることができ、次いで世界中に協会を設立することになっていきますねん。
これまでの4-5年間はJoyはたまには私と小旅行にでかけたりするものの、私が講演やらデモンストレ-ションやらで家を離れとるあいだ、まだ家におるうちの坊主どもやら、庭やら菜園やらの世話をしてくれとったんです。
農場の手入れをするお手伝いさんを雇ったり辞めてもろたりをくりかえしてたようです、必ずしもよう働いてくれはったわけでもないようでしたからね。
私がよう家を留守にしとったんで、子供らやJoyのことは気になっとったんですわ。
子供らが小さい時分に一緒にいてやれなんだことは痛恨のきわみですねん。
頻繁に長い間留守が続いていたせいで、大事なことをしそびれてしもたようで、子供らが成長してゆくのになんの助けも出来んで、取り返しつかんなぁと思いますわ。
Joyはいつでも賢明で、すばらしい母、妻、偉大なる人やと思てます。