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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 56
良きものであっても、革新的なものが広がっていくには、旧勢力との戦いは必須です。
旧勢力からすると、なんか得体のしれないもの、ということになるでしょうし、いままで自分達が信じてきた価値観にNOをつきつけられるなら、なおさらでしょうしね。
いや、必ずしもマッケンジー先生はこれまでの考え方にNOを唱えているのではなく、どのように診断を進めていけば、より解決の道筋が見えやすくなるのかを示されているだけだったはずですけど。
今日も師匠のハナシに、聞き耳を。
1980年にDallas General Hospitalへ講習に招かれました、そこは今や整形外科教授になられたVert Mooney先生がいてはる施設です。
現地に着いてから、まずどこに泊まってるんか、彼に連絡しましした。
すると「すぐ行くから」なんや言いはりますねん。
ホテルの前で待ってると古い型のフォルクスワ-ゲンが現れて、白衣を着て聴診器をつけたMoorney先生登場ですわ。
手を差し出しながら、「さあ、のみに行きましょう」やて、その通りにしましたがな。
講習会は大成功でした。
Mooney先生も参加してくれはって、いろいろコメントしてくれはったんで、内容も充実しましたわ。
脊椎疾患の患者さんのリハビリテ-ションにおけるMDT(mechanically diagnosis&therapy)の意義ということについて、彼の見解を聞くとさらに自信が持てるようになりました。
1983年、協会が設立された年、Vert Mooney先生は私に、腰椎研究に携わる国際学会への入会を推薦してくれはりました。
当時、学会員は世界でも専門家と言われとる150人限定となってましたんや。
申請書を書き、私が書いた本や論文を提出すると、この栄えある会員に認めてくれはりましてん。
PTとして入会させてもらえたんは、私で2人目やったみたいで、非常に名誉なことですわなぁ。
今一度、Vert Mooney先生に感謝、ですわ。
Vert先生と私は、その後数十年にわたり親交をむすびました。
一緒にいる時はいつも脊椎のことや、痛みを引き起こす可能性のあるメカニズムについて語りあかしたもんです。
ある夜遅く、二人ウィスキ-を傾けながら気ィついたんですが、私らはおんなじ1931年4月に、1週間違いで生まれとるんですわ。
私が1週間、お兄ちゃんですけどね。
この惑星の反対側で1週間違いで生まれて、同じモンに興味を持ってやり合うとるいうんはどエライことではないですかいなあ。
学会から入会の知らせがあって、全ての人が喜んでくれたワケでもないですねん。
うちの地域の整形外科の先生方は不快感を露わにしてはりましたわ。
簡単なエクセサイズをするだけで手術を受けんでもようなる患者さんがようさんいてはる、なんてことを言うとる成り上がり者のPTが、栄えある学会の会員に迎えられよったんですさかいにねえ。
学会への受け入れにも賛否両論あったんやないですか。
会員のほとんどは整形外科医で、運動治療は昔ながらの屈曲を主体とするのが王道やと信じとる人ばっかしでしたさかいに、私がよくやるのんと真逆ですもんなぁ。
私の存在は全く無視されてまして、どないなもんやと思てましたんやが、学会以外の場では、どんどん外科医やセラピストの先生方の支持が増えてきていたのには元気づけられました。
私らの講習を受けたセラピストが、彼等が診てはる患者さんらの症状を、良うしていってくれるもんやから、いうことらしいんです。
講習会の参加者の顔ぶれが次第に変わってきとるのに気づいたのもこのころです。
整形外科の先生や内科の先生方がどんどん参加してくれてはりますんや、ちゅうのも、これもまた、彼等のとこで働いてはるセラピストがエエ結果を出してくれてはるからみたいなんですけどね、で一体どういうモンなんかをご自身で確かめに来てはるようなんです。
腰椎学会の会員の中でも、年齢層が高い方の多くは、私のアイデアのことを、よくある流行の腰痛治療みたいなもんやと、今までにもさんざ現れたり消えたりしていたような、単純な規則性に基づいて判断しとるいうだけの、なんにも本質的なモンがない下らんもんやと思てはるようでしたわ。
私の理論を理解しようとわざわざ時間を割いてくれはるような方は皆無でしたんで、学会員の先生方に分かっていただくようにするには、彼等のいたはる地域で講習会を開くような機会があれば、先生方を講習会に招待させてもろて、なおかつ、彼等が診たはる患者さんを連れてきてもらえたりするんでしたら、私がそこで診させていただくようにする、いうことしかあらへんでしたわ。
こういうようにして、私や他のマッケンジ-法セラピストらがやっとることを、だんだんと理解してもらえるようになってきましてん。