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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:5

まだまだ子供時代の話がつづきます。マッケンジー先生の人となりに興味のない人にはなんてことない話ばかりなのかもしれませんが、、、。

では師匠、どうぞ。

 

戦争の布告は忘れられんです。

そのとき、私は叔母のマーガレット・ソーンと一緒に最北端の町テームズにいてました。

BBCラジオから英国の首相、ネビル・チャンバーランが第二次世界大戦の始まりを告げる声が流れてきましてなあ。大人らはみいんな驚いて騒いでいましたが、私にはことの重大さがよう分かっておりませなんだ。私ら子供は日曜午後の町の映画館で流れるニュース映画でオランダやポーランドを爆破して侵攻するドイツ軍にワーワー言うてたくらいです。叔父のジム・ソートンは最初の労働党政府の閣僚でしたが、ようウエリントンに急な会議で呼ばれてました。つまり彼は重要人物やったいうことでしょうが、その頃の私らにはよう分かっておりませなんだなあ。

若い田舎モンにとっての戦争はワクワクするようなもんでしたが、たくさんの人々が悲劇的な現実の中に巻き込まれているいうことなんか、とんと理解できてませなんだ。

マスタートンに住む家族らにとって、戦争は大きな爪あとを残しました。息子らが勇敢に志願し、中東でドイツと、太平洋で日本と戦いました。

多くは還ってこずじまいで、双子の兄弟を北アフリカで2週続けて死なせてしもた、バニーのような家もありました。

バニーとうちは親しくしていたんで、母はどう声をかけてあげたらエエのんか、分からんようでしたな。

 

私の親類の多くは守備隊として、北島の東海岸にあるキャッスルポイントで活動していました。日本軍が侵攻してくるのを見張っとったわけですな。

幸運にも、日本軍の侵攻は無かったんですが、アメリカ海兵隊の南太平洋部隊がおってくれたこそですかいなあ。

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