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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 46
また、新しくチャンスが転がり込む、が、先立つものが、、。
拾う神あり。
運も実力のうちっちゅうことですか、マッケンジー師匠。
第8章 Lonndon,Monte Carlo,そしてEnd Farm
1968年、Londonを訪れているあいだ、英国徒手医学学会の会員でもあるJohn Ebbets先生を訪ねました。
Ebbets先生は医師として初めて徒手医学学会員の資格を得た人で、のちにカイロプラクタ-の資格もとりはりました。
カイロプラクティックでの経験をもとに従来の医学と、そのほかのやり方を組み合わせたモノをつくりあげたい、そういうような希望を持ってはりました。
2-3日、Ebbetts先生が診療するのをみせてもらいました。
Cyriax先生と同じで、先生は私の、急性側弯変形患者さんを治療してる映像に興味を示しはりました。
で、1970年にヨ-ロッパへ戻ってきて、Monte Carloで開かれるヨ-ロッパ徒手医学学会の年次学会に出えへんかと誘ってもろたんです。
この映像は会場でもっと多くの聴衆に観てもらうべきで、会場には300人がつめかけるはずやと。
彼の熱心さには私も盛り上がってきました。
反復運動やらcentralizationなんかについては説明せんかったんですが、この映像を観て考えてもらうことが第一歩となり、話を進めていく足がかりになるはずで、その他のことなどはあとでどうにでもなるやろと思いましてん。
問題は、世界の半分を巡るような長旅をしてきたばかりで、もう一度長旅に出るような経済的な余裕があるんか、いうことですわ。
借金の返済で手いっぱいやっちゅう状況でしたさかいなぁ。
そういうタイミングでしたが、だしぬけに守護天使が現れてくれはるもんですわ。
当時、私はまだ訪問診療をしてまして、依頼の電話があってMoira Toddさんのところへ伺ったときに、国際会議に映像を発表するべく招待されたんやが、Monte Carloへは映像をコピ-して送るつもりなんやと話してたんです。
彼女はあなたはいかないの?、と。
無理なんですわ、と私。
なんでやの、とまた彼女。
Moiraさんが、私とJoyがMonacoへ行くための旅費を用立ててくれはる、いうてくれはりますねんや。
彼女はホンマに得難い人ですねん。
後で知ったことですけど、ベトナム戦争の後、荒廃してしもた国を建て直すため、彼女が孤児院の建設やら運営やらに出資してはったらしいんです。
彼女は自身の信じる道で、何百という人達や組織の援助をしてきはったんですわ。
そして、この素晴らしい患者さんが私の人生と仕事の分岐点となるトコロで、私を助けてくれはることになりましてん。